阪神大震災から28年

阪神大震災から28年が経ちました。朝からテレビで信じられない映像が放映されていました。当時、区議会議員になる前で党区議団事務局として控室に出入りしていましたが、約一週間後に先輩議員と現地入りしました。大阪のまちにも屋根をブルーシートで被う家が多くありました。新大阪まで新幹線で移動、阪神梅田駅から神戸市東灘区の青木駅までしか公共交通機関は利用できませんでした。その先は徒歩しかありません。被害の大きさに呆然とする連続でした。支援物資をリュックにつめて兵庫区の親戚を訊ねました。その親戚の家屋も半壊で近くの学校に避難されていました。

その後、中越地震東日本大震災を経験しましたが、その都度、ボランティアとして支援活動に取り組みました。

とりわけ学校プールの廃止方針など、この被害の教訓が薄れているのではと思わざるを得ません。