裁かれたのは捜査のあり方 大阪母子殺害放火

 状況証拠による有罪認定について「被告が犯人でなければ説明できない事実が含まれている必要がある」と最高裁が新たな基準を示し、1、2審の有罪判決を破棄した大阪市平野区の母子殺害放火事件。被告の刑務官を無罪とした大阪地裁の差し戻し審判決は、この基準に忠実に、検察側が積み重ねた状況証拠のほぼすべてを「被告が犯人でなくても説明できるものばかりだ」と退けた。裁かれたのはむしろ、10年前の捜査だったともいえる。

以上は、ネットのニュースです。昨日、テレビでも報じられていましたが、被害者の肉親が、泣きながら、有罪にならなかったことを嘆いていました。変だなと思ったのは、私だけではないと思います。なぜ、その怒りが、ずさんな捜査、間違った求刑を求めた警察や検察へとむかわないのか。

裁判員裁判が始まり、証拠も自白もなく状況証拠だけで有罪とすることは、一般市民である裁判員に冤罪に加担させる恐れがあることからこの判決に一定の評価も加えられています。

いま、連日報道されている事件があります。練炭で亡くなった男性が連続し、ある女性が殺人犯ではないかというあの裁判です。これも裁判員による裁判ですが、テレビの報道はどうも一方的な気がします。いやな事件で、被告とされている女性に同情もしていませんが、テレビの報道はどう見ても冷静さがありません。

テレビのキャンペーンは消費税増税、TPP推進など為政者によるヒステリックなものが今も続いています。しかし、国民の世論は必ずしも思うようにはいっていないようです。